Yukon Arctic Ultra(本編)
ホワイトホースへ
目が覚めたら7時30分だった。昨日何時に寝たかわからないが、やることもなくすぐに寝たので10時間近く寝ていたかもしれない。まだ真っ暗だし、ほんとうに8時に迎えに来るのかな?と思ったが念のためすぐに動けるように準備した。ロバートは8時に迎えに来た。同じ家に宿泊していた数人と一緒にロッジに戻る。 1時間くらい朝食を食べて待っていてくれと言われたので、もしかしてリタイアした人は朝ごはんもエントリーフィーの範囲で食べれるのかなと思ったら、どうやら違うらしい。お金がないと食べれなかったらお金を持って来ていない選手は食べられないじゃんとおもった。少しだけお金を持っていたので普通に食事をする。 1時間以上待って、選手はもういないし、スタッフも先のCPに進んでロッジに残っている関係者が数人になった。置いていかれないか不安になりロバートが来た時に「まだ行かないの」と聞くと「あと1時間待って」という。
あまりに暇で電話が目に入ったので櫛田さんに電話できないかなと思う。ホワイトホースに戻ったら櫛田さんに電話をしてピックアップしてもらわなければならない。電話のカードを入れるところにVISAと書いてあったので「もしかしてクレジットカードで電話できるのか?」と思い試しにカードを入れて(念のためで持っていた)番号を押してみるが「このカードは使えません」というような反応になり残念だった。お金でかけるのはホワイトホースについてから。(限りがあるので) さらに1時間以上待ってようやくロバートが「kaba!」と呼びに来た。ホワイトホースに戻る人数人と車に乗り込みロバートの運転で出発。1時間ほどかけてホワイトホースのhigh country innに到着。ホテルのカウンターで電話を借りて櫛田さんに電話する。「すぐに行く」とのことで、10分も経たないうちに迎えに来てくれた(早っ!)。
ドロップバッグはすべて戻って来ていた。たぶん一気に各地点に荷物を送るのではなく選手、スタッフの動きとともに少しずつ北上していくので自分のドロップバッグはブレイバーンの先には行っていなかったのだろう。 TimHortonでお茶(コーヒー)しながら櫛田さんとソックスとシューズが凍った件について話をする。やっぱりベイパーバリアをしっかりするしかないのかなという結論になる。またはロバートに質問したときの反応だとバリアではなく外に出すという考えなので、その場合は手元に常に替えのソックスを確保する必要がある。 TimHortonでお茶(コーヒー)中にストラットフォードモーテルのおばちゃんに遭遇。ゴミ箱に折れた三脚を捨ててきたのだが「あれはゴミでよかったのか?」と。よく覚えているなーと思った。 れなっちには櫛田さんから状況を連絡してくれていた。れなっちは帰国の飛行機が故障してアラスカに降りて、別の飛行機に乗ってつい先ほど成田に到着したらしい。櫛田さんの携帯を借りて無事戻り報告だけする。
櫛田さんに「もう一度やりたいと言ったらサポートしていただけますか?」と聞く。快諾してもらえたので、なんとか再びの機会は作りたい。かなりの時間とお金をかけて準備してきたので問題があって瞬殺リタイアとはいえ、完走レベルには着実に近づいているはず。 スーパーで買い物をしてから櫛田さんにホームステイ先のようこさん宅へ送ってもらう。合鍵はレースの荷物として持ち歩いておりいつ戻っても大丈夫にしてあった。レース中の緊急時用の持ち物としては、合鍵、20ドル、電話をかけるためのコイン(小銭)、クレジットカードでたとえ夜中にホワイトホースに戻されても、すぐにピックアップに動ける人がいなくてもなんとかなるようにしていた。リタイアしやすい状況を作っているということでもある。 れなっちに「櫛田さん次もサポートしてくれるって」とメッセージ送ったら「リベンジしてほしいと思ってた」とのこと。周りの理解は得られそうだからあとは自分の仕事しだいだな(稼ぎと時間と)。40歳過ぎて結婚もしててこんなことができるとは恵まれている。まったく想像できなかった人生になっていておもしろい。
リタイア報告
Yukon Arctic ultraリタイアしてホワイトホースのホームステイ先に戻っています。 時系列での詳細なレポートはおいおいとして、簡単に結果報告をします。
レース結果としては自分の手元のGPSでは72km、レースオフィシャル情報ではCP2(95km)の15km手前でビバークしてSPOTのHELPボタンを押しました。セーフティにリタイアしているので凍傷など問題はなく元気です。
リタイアを判断した原因はグローブとソックスの濡れです。外からは濡れませんが、内側から自分の汗で少しずつ水分を含んでいくのが問題になります。この現象は事前にわかっていて汗はなるべくかかないようにウェアやペースを調整するのですが、それでも少しずつ汗はかきます。 1日目の夜に眠気で少し仮眠(ビバーク)するときにソックスが凍ってシューズに張り付いていて剥がすのが大変でした。 2日目の朝、焚き火でソックスとグローブを乾かそうとしましたが完全に乾かすことはできず、その後数時間少しましになった程度でした。 2日目の昼過ぎにはグローブの冷えがひどくなったので睡眠時と緊急時のためのダウングローブを使いました。緊急時用の装備は次のCPがすぐならいいのですが、脱出時のためのものなので、それを長時間使うことはありません。それでビバークに適した場所を気にしながらの行動になりました。
ソックス、グローブだけでなくシェルや顔を覆うのに使っていたフリースのネックウオーマーも水分が付いたところはカチカチに凍りウェアが死につつあるのがわかりました。この状態で2晩目を迎えるのは危険だと判断したため、元気なうち明るいうちにしっかりビバークの準備を整え、ここで停滞すると最初の関門があるCPにはもう間に合わないので無理せず終了することにしました。
700km、13日間の部門にエントリーしつつスタートから最後のビバークに入るまで28時間で72kmしか進んでいないという情けない結果ではありました。しかし自信を持ってレースを進められる状況ではなくなってしまったので仕方がないと思います。
気温に関しては、下見でユーコンに来たときにマイナス30度以下の日が続き、こちらでお世話になっているyokoさん、櫛田さんに「こんなに連日冷え込むことはめったにないから本番が楽に感じるよ」と言われていたのですが、本番はスタート後の気温はマイナス37度だったそうで、自分の温度計で見たレース中の最低気温はマイナス40度でした。こちらではすっかり寒気を連れてくる人として扱われています。地元カナダ人情報によると、ホワイトホースの病院にはレースに参加して凍傷になった人が続々と送り込まれているようです。超迷惑なレースです。
リタイアした直後は「こんな危険なレースは二度としない」と思いましたが、翌日主催者に「レンタル装備を練習に使いたいので21日まで継続して借してもらえないか(リタイアでなければ、その日まで使っているはずのものなので)」お願いし、サポートしていただいた櫛田さんに「もう一度やりたいと言ったらまたサポートしてもらえますか?」とお願いしておきました。次回(来年?)は自分の脚でまずは100マイルのブレイバーンまで行きたいと思います(今回リタイア後にスノーモービルでブレイバーンに送ってもらったのでコースは見ました)。そのためにもう少し試したいことがあるので帰国前に一人ユーコンしようと思います。
来年ユーコンチャレンジする仲間募集します。一緒に取り組んでみませんか?(状況を整えられればという条件付きだけど)