Expedition Race
レースと旅のレポート
※ロゴをクリックすると詳細ページを表示します。
人のちっぽけさを感じられるような壮大な景色の中を走ったり歩いたりするレースに出かけています。
その舞台は砂漠、極地、山岳・・・自然の中で自分の能力をフルに使ってゴールを目指す気持ちよさは格別です。
<2024年9月>Swiss Peaks 360に出場。スイス南部ローヌ川沿いの山脈を東から西へ380kmつないだトレイルレース。 レース名にある360は360kmの意味だがコース図を見ると380kmになっている。制限時間は6日12時間で1日60kmは進まなければならない。 2017, 2018にリタイアしたPTLと同タイプのレースでなんとか完走してPTLを供養したいと考えている(屍が増えるだけのような気もしている) →屍が増えました
<2023年2月>ドバイマラソン出場とルブアルハリ砂漠7泊8日の旅(機内除く)。 ドバイマラソンは目標にしたサブ3にわずかに届かず(グロスで3時間24秒。ネットで3時間7秒)。今回の旅のテーマは英語の練習。治安がよいので英会話集やネット翻訳に頼らず、 必要なときは心の準備なしでまず話しかけて、その場その場でがんばってみた。海外はコロナの規制がどんどんなくなっていたが日本は帰国の際にワクチン4回接種か72時間以内のPCR検査が必要だった。 家族3人コロナに罹らずに帰国。
<2019年11月>エベレスト街道トレッキング22日間の旅。カトマンズ滞在4日、トレッキング18日。
ガイドとサポーターを付けた手厚い観光旅行という感じ。都度ベストな方法を提示され言われた通りに連れて行ってもらう感じになったため、
気持ちの切り替えが必要だった。失敗する確率が上がっても自分でやった実感がほしい人にはガイドを付けることはお勧めしない。
※2023年4月からネパールのトレッキングはガイド同行が必須になりました。
<2018年8月>PTL。フランス・スイス・イタリアをめぐる山岳レース。 2017年のリベンジで新チームを組み万全の状態で望んだつもりだったが1日目の午後に脚が痛くなり回復しないまま Champex Lac(47km、手元GPSで54km)で自分を切り離してチーム残りの2名でレースを続けてもらった。チーム自体も180kmあたりでリタイア。翌日からの一人PTLでシャモニーからクールマイユールまで100km行ったのがメインイベントのようになった。
<2017年8月>PTL。フランス・スイス・イタリアをめぐる山岳レース。UTMBシリーズの5つのレースのうちの一つ。 距離は約300km、累積標高は26000mほどでコースは道として整備されていないような場所も含まれる。
121km(Cabane Plan du Jeu)リタイア。自分のGPSでの距離では140kmほどだった。
<2017年3月>6633 Arctic Ultra。カナダ北部、イーグルプレインズからタクトヤクタック(北極海)まで566kmのレース
レース後半のアイスロードを歩きたいというモチベーションでの出場。1度で完走し経験値を増やしてYukon Arctic Ultraに戻りたい考え。 【NHK-BS1】GREAT RACE「大氷原に立ち向かえ~カナダ北極圏567km~」で放送。
<2016年5月>ナミブ砂漠(ナミビア)でおこなわれるレース。
2009年にリタイアしたサハラレースが政情不安定でエジプト→ヨルダン→ナミビアと開催地を移転してきたレース。これを完走すると4Desertsシリーズ完了となる。 レース直前に(現地に行ってから)順位狙いしようと切り替えて軽量化し総合5位(40歳台優勝)で満足した。
<2016年2月>Yukon Arctic Ultra。前回リタイアしたレースに再挑戦。ホワイトホースからペリー・クロッシングまでの約500kmを8日間で走破する。
430マイルの部は2年に1度のため2016年は300マイルが最長距離。前年の下見、本番、リタイア後の現地練習と経験を積み今回どこまで進むことができるのか挑む。 結果、308kmでつま先の出血によりドクターストップとなってしまった。
<2015年2月>Yukon Arctic Ultra。カナダのユーコン準州でおこなわれるレース。ホワイトホースからドーソン・シティまでの約700kmを13日間で走破する。
砂漠レースではないけれどひとまずここに。南極のあとレースからは離れていたが、新婚旅行でオーロラを見に行こうという話から脱線して出場することになった。 最低気温マイナス40℃以下に対応できなければいけない極地レース。【NHK-BS1】GREAT RACE「世界で最も寒く過酷なレース カナダ・ユーコン700km」で放送。
<2012年11月>南極でおこなわれたレース。
砂漠レース最終戦。今度こそ走ることには一区切りつけて引退と思って走ったレース。最後の締めとして入賞目標(男子3位でトロフィーをもらった♪)。南極以外にも日程に十分なゆとりを持たせウシュアイア→カラファテ→チェルテン→ブエノスアイレスと移動し、パタゴニア・フィッツロイでトレッキングをした。
<2011年6月>ゴビ砂漠(中国)でおこなわれたレース。
完全に南極出場権を取るためだけに出場してしまったレース。アタカマから3か月しか空いていないため装備はアタカマとまったく同じ、 観光や新たな取り組みもなくただ完走を取りに行っただけになってしまった。最高気温53度と最も暑さに苦しめられたレースでもあった。
<2011年3月>アタカマ砂漠(チリ)でおこなわれたレース。
2012年南極の出場権を強く意識し順位よりも安全重視のレース。2012年南極を実現するために会社を退職し、レース中に東日本大震災が発生と大きな出来事が重なったレースになった。 またイースター島に1週間滞在、飛行機の乗り継ぎでサンチャゴ空港のベンチ泊と観光も少し攻めてみた。【NHK-BSプレミアム】「密着!アタカマ砂漠マラソン」で放送。
<2009年10月>サハラ砂漠(エジプト)でおこなわれたレース。
順位を狙いに行ったレースだったが、2日目のスタートから体調が悪くリタイア。翌日からランク外で復帰しコースを楽しむことはできた。スケジュールに余裕を持たせ、カイロの街を歩き回ったり、ピラミッドを見に行ったり、観光も楽しむことができた。
<2007年3月>サハラ砂漠(モロッコ)でおこなわれたレース。
初めての海外旅行。趣味でマラソンを走っていた証として最後のチャレンジとして取り組んだが、走るということ以上に多くの刺激を得ることができた。新たに「海外」という視点ができた重要な出来事。