About this site
本サイトの名称「冒険野郎の館」は2000年にサイト開設した際に付けた名称です。いろいろなことに興味を持ち行動することが持ち味で、当時は「自然豊かな場所に住みたい」と長野県に転職&移住しようとしていました。この人生の転機、新天地での生活を記録するために生まれたサイトです。「冒険野郎」は変化を恐れず挑戦の一歩を踏み出せる人でありたい、「館」はたくさんの部屋がある(=たくさんの趣味・特技がある)ことを表しています。そのころは本当に冒険野郎になってしまうとは思ってもいませんでしたが、これからも初心を忘れず立派な「館」を築いていきます。
樺澤 秀近
Profile
主な種目はランニング。登山(一般登山道の縦走)・スキー・カヤック・MTB・パラグライダーなどさまざまなアウトドアスポーツを楽しんでいる。
大学時代は天文部。社会人になってからスキーに熱中する。 30歳のときに学生時代から細々と続けスキーのオフトレーニングでもあったランニングが中心になり、 さらに自然の中に深く入り込むアドベンチャーレース、そして砂漠・極地へと活動の幅を広げている。
神奈川県横浜市出身(現在住)。2001年7月に天文とスキーのレベルアップを目指し長野県松本市に移住。 その後アドベンチャー系レースが活動の中心になったため、2011年4月に東京近郊に復帰した。
2007年に日本ではサハラマラソンとして知られているMarathon Des Sables(モロッコ)に出場し砂漠レースにはまる。 サハラ・レース(2009年・エジプト)は好調で臨んだが体調を崩しリタイア。 アタカマ・クロッシング(2011年・チリ)、ゴビ・マーチ(2011年・中国)に出場し、2012年11月にラスト・デザート(南極)に出場した。 また2009年にリタイアしたサハラレースを再度走り(エジプトではなく代替地ナミビア)4Desertsシリーズを完全完走となった。
2015年2月にカナダ・ユーコンでおこなわれるYukon Arctic Ultraに出場したがリタイア。翌2016年に再挑戦し300km以上進むことができたが完走はできなかった。そして3度目の極寒レース6633 Arctic Ultra(566km、8日間)でようやく完走した。
本業はシステムエンジニア。2011年3月までは会社員として、2011年4月からはフリーランスで仕事をしている。
History
年 |
月 | 出来事 |
---|---|---|
1973 | 9 | 横浜生まれ、横浜育ち。 |
1989 | 4 | 神奈川県立保土ヶ谷高校、入学 ゲーム(主にウィザードリィ)をやるためにアルバイトをしてパソコンを購入する。ゲーム好きの延長でコンピュータ・プログラミングにはまる。 勉強には興味がなかったので高校を卒業したら就職しようと思っていたが ソフトウェアの勉強をしたくなり大学を目指すことにする。 |
1992 | 4 | 専門学校入学(英会話コース・・・英語がまったくわからなかったため強制的に英語漬けにしようとしたが克服できず)。 専門学校に通いながら大学を目指す。後半は専門学校から予備校に編入学し大学受験一本に。 |
1993 | 4 | 東海大学短期大学部(電子工学科)入学 冒険野郎マクガイバーにはまる。ゲーム仲間と気まぐれで出場した駅伝大会がきっかけになり ジョギングを始める。駅伝には、冒険野郎マクガイバーにちなみ「冒険野郎」というチーム名で出場。 大学では天文部に所属。4年制大学編入学のため一番勉強した時期。 |
1995 | 4 | 東海大学(電子工学科)編入学 大学3年生のときは編入学の影響で単位の取得で精一杯。3年生後半から天文宇宙同好会に所属するが、 4年生になり短期大学部の研究室に出戻ったため同好会での活動はほとんどできなかった。 初めてフルマラソンに挑戦し3時間52分で完走する。 |
1997 | 4 | 電機メーカー系システム開発会社、入社 気象レーダーのシステムを担当する。仕事内容は気に入っていたが、年間1500時間の過酷な残業を経験し 1999年9月に退職。車(180SX)を購入し週末の夜は箱根の峠を攻める。 同じ課の先輩のお誘いでスキーを始める。 退職後3ヶ月間は心身をリフレッシュさせながら次のステップを模索する。 |
2000 | 1 | 小規模ソフトウェア会社、入社 ベンチャー企業的な要素を求めて小規模ソフトウェア会社に入社する。 実体が派遣業であることに疑問を感じ1年半で退職。 |
2001 | 7 | 長野県松本市へ移住 長野県のシステム開発会社に入社。スキーと天文の活動によい環境を得る。 この年のしし座流星群が大当たり。それまで流星群を追いかけて写真撮影をしていたが流星を見過ぎて冷めた(笑) |
2002 | 3 | スキーヤーとしてがんばる。(滑走日数=2001-2002シーズン:68日、2002-2003シーズン:82日、2003-2004シーズン:41日)モーグルをやりたいと思ったが不整地(コブ)を上手く滑れるようにはならなかった。 |
2002 | 4 | 大町エネルギー博物館友の会フォーマルハウト入会 博物館でプラネタリウム解説を経験させてもらい星空ガイドの活動を始める。 |
2003 | 9 | e-Athletes入会(2010/03退会) スキーのオフトレーニングとして続けていたマラソンで3時間30分を切るために入会。スキーは縮小へ。 |
2004 | 1 | アドベンチャークラブKOCCi参加 アドベンチャーレースとの出会い。 「Team冒険野郎」としてアドベンチャーレースに参戦する。 |
2004 | 10 | オリエンテーリングチームTeam白樺入会 アドベンチャーレースのために地図読みを練習するため。 |
2005 | 3 | フルマラソンで初サブスリー(2時間57分37秒) |
2006 | 10 | 長野マラソンクラブ入会 |
2007 | 3 | サハラマラソン出場 砂漠に魅せられる。灼熱の地でレースを経験しても相変わらず暑いのは苦手なままであった。 |
2007 | 9 | Team白樺で運営していたロゲイニングチャレンジ菅平高原大会の実行委員長に就任。 |
2008 | 4 | 転勤で愛知県半田市へ。 |
2008 | 10 | 転勤で長野県塩尻市へ。 |
2009 | 10 | 転勤で栃木県宇都宮市へ。 |
2009 | 10 | サハラ・レース出場。絶好調だったがステージ2で体調を崩しリタイア |
2010 | 4 | ランフィールド(RunField)サポートスタッフ。(~2013/03) |
2010 | 10 | 転勤で長野県塩尻市へ。 |
2010 | 12 | 防府読売マラソンで初サブ50(2時間49分45秒) |
2011 | 3 | アタカマ・クロッシング出場 |
2011 | 4 | 埼玉県戸田市に移転。会社を退職しフリーランスで仕事を始める。 |
2011 | 6 | (社)日本ロゲイニング協会 代表理事(~2013/06) |
2011 | 6 | ゴビ・マーチ出場 |
2012 | 12 | The Last Desert(南極)出場 |
2013 | 9 | 結婚。個人事業の屋号を「Adventure Runner」から「ArcticSoft」に変更。 |
2015 | 2 | ユーコン・アークティック・ウルトラ出場(リタイア) |
2015 | 6 | 出身地でもある神奈川県横浜市に移転。 |
2016 | 2 | ユーコン・アークティック・ウルトラ出場。308kmにてドクターストップ(リタイア) |
2016 | 5 | サハラ・レース(ナミビア)出場。男子40歳代優勝 |
2017 | 3 | 6633 Arctic Ultra(カナダ)出場。 |
2017 | 8 | PTL出場(リタイア)※2018/8再挑戦もリタイア |
2018 | 6 | 英会話教室に通い始める |
2019 | 2 | パラグライダーをはじめる |
2019 | 12 | エベレスト街道トレッキング |
2023 | 2 | ドバイマラソンと砂漠リゾートの旅 |
2023 | 4 | ランフィールド(RunField)サポートスタッフ。 |
2024 | 2 | 生誕半世紀(50歳)チャレンジでマラソンエイジシュートを目指すが2時間52分57秒で失敗 |
2024 | 9 | 生誕半世紀(50歳)チャレンジ後半。Swiss Peaksに出場するが約300kmでリタイア強制回収 |