Everest Trekking 2019
タグナック(4700m)〜ゴーキョ(4790m)〜ゴーキョリ(5357m)
朝7時に朝食、8時に出発。今日はまずはゴーキョまで。地形はだいたい平らだが幅の広い氷河を渡るためデコボコのアップダウンを繰り返す。氷河とは言っても砂と岩を被っていて氷はあまり見えない。ただ氷の下を水が流れているところもあり、水の流れる音が聞こえるところもあった。
ビピンさんの言うにはここも毎年氷河が溶けてルート(地形)が変わるという。温暖化の影響で減少傾向らしい。歩きながらビピンさんの今までの話しを聞いた。出身が東の方のマカルーという村だと先日聞いていたが、家が貧しくて10歳までしか学校に行かず、靴を履いたのは14歳だという(それまでは裸足で生活)。そこから立派なガイドになるまでの努力を思うと、言葉に表せない思いだった。自分も日本ではこうだった(日本人はだいたい20歳くらいまで学校に行くとか)みたいな話をした。
いろいろ話しているうちに自然にガイドの話になったので、やっぱり自分が感じるのは5000mの山にガイドさんに連れて行ってもらうだけより、2000mの山に一人で行くほうが好きだとか、いろんな人がいて連れて行ってもらうのが好きな人もいれば、プロから見たら完璧なやり方ではなくても自分で行って失敗したことは笑い話にして楽しむタイプがいると説明した。自分は後者だと。それでも「またいつか樺澤さんと歩きたいです」と言ってくれたのでとても嬉しかった。連れて行ってほしいタイプの友達がネパールに行くときは必ずビピンさんを紹介すると話した。来年の夏もおそらく赤岳鉱泉に働きに来るとのことなので、ビピンさんに会いに行こうツアーでもしようと思っている。誰も乗ってくれなかったら一人で。
10時にゴーキョに到着してしまった。ゴーキョのロッジ群の脇には大きなグリーンの池があり、池の向こうに次に越えるレンジョパス(レンジョ峠)が見える。氷河の上流にはチョオユーが見えていて、見えている山脈が中国との国境になっている。なぜかロッジの中の一つが「FITZROY」という名前だった。
天気が良ければ14時からゴーキョリに登ってサンセットを見ましょうということになった。とりあえず部屋にチェックインして昼食にする。昨日のロッジのメニューで春巻き(spring roll)が気になっていたので注文する。それと昨日のロッジではポップコーンが野菜(Vegetable)の先頭にあったのだがここではスナックに分類されていた。春巻きはわらじみたいのが一つお皿に乗ってきた。見た目がすごいがおいしかった。昨日の夜から食欲が戻ってきて、夜中に部屋でビスケット食べていたし、11時くらいの早い昼食なのに春巻きとポップコーンを完食することができた。標高が4700mに下っているので5000mとは違いがある気がする。昨日の夜からときどき喉がちくちくして咳が出ると伝えたら咳を抑える薬?を半錠くれた。
14時にロッジをスタートしてゴーキョリへ登り始める何度か写真を撮るために止まってもらうが、今回はなぜかビピンさんがあまり止まらないしペースも速い。明日一回5000m超えしたらあとは下って帰るだけだし、5000m超えをこれまでに何度もしているので力試し的な何かかな?と思い、こちらもギアチェンジして追い込みに入る。けっきょく持たなくなって止まってもらったが「なんか今日速くないですか?」と聞いたら「そう?なるべくゆっくり歩いているけど」という。「今までの日本人のお客さんでこのペースで登れた人いますか?」と聞いたら「いません」と(笑)16時ごろ約2時間でゴーキョリに到着したが、ビピンさんのベストタイムは57分だという。とんでもないです。
ゴーキョリからの景色はほんとうに素晴らしかった。8000m以上の山もエベレスト、ローツェ、チョーオユー、マカルーと4つ見えている。大きな山から少し距離はあるが、そのぶん空が広く日没前後のマジックアワーを楽しむには最高。Goproをエベレストに向けて動画撮影にし一眼で山の写真を撮りまくる。エベレストが通常の色から赤くなり17時過ぎて完全に日の光がなくなると黒っぽい青に変わっていった。17時10分で撮影を停止し、一気に寒くなったので急いでトイレして下山開始。ビピンさんが少し走ってもいいですか?というので、もちろんokで思わぬ形でトレラン開始。
どんどん暗くなって、ビピンさんにライト持ってます?と聞かれる。「ネパール人は暗い山道も慣れているけど、樺澤さんは初めてだから」と。「(それはどうかな?と思いつつ)ライトはあるけどまだ大丈夫です」と言って走り続ける。いよいよ暗くなったところで「樺澤さん体強いしライトなしで山走れるしネパール人みたいですね」と言われた。最大級の褒め言葉として受け取った。楽しく下まで走りきった。18時ロッジ帰着。
【コラム】ロッジのオーナー
ヒマラヤのロッジは国立公園のお金で建てられたもので毎年経営者(ビピンさんはオーナーと言っていたけど)は変わる。経営者が変わるとサービスや対応も変わるのでガイドたちは情報交換しあって、今年はどのロッジがいいとか、あのロッジは誰が経営しているからとか、利用先を決めているらしい。