第31回富士登山駅伝
2006/08/06(日)
No.4 サポーターの記録
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馬返し上サポート:桑野さん(ブンブン)

今年で連続サポーター4年目になります。今年はどこをやるのかなぁと思っており、 一瞬7.5合になっていたときは、作年のことを思い浮かべて覚悟を決めていたのですが、 直前に下界に変更となりまして、正直ホッとしたところであります(笑) しかし、直前にいつもやらないランニングを始めたせいか、風邪を引いてしまい、まぁ 大丈夫だろうと思っていたら、金曜の夜にMAXを向かえ(のど・鼻・熱・頭痛の四拍子) 薬を投入した状態で御殿場入りしました。 前日にいた温泉で、今年のゲストは加藤晴彦だと知ったので、小学校のとき密かにファン だったのでかなり運命的だと思いました(会うことはありませんでした・・・)。
下界であれば、やったことのない太郎坊をやりたかったのですが、車の関係で今年も 馬返し上になりました。でも、一昨年そこでしたときは、上りと下りとの待ち時間の 『木陰でのひととき』がとても楽しかったので、特に嫌だと言うわけではありません。  暑いなか、開会式、カーボパーティーをすませ、宿の15時半チェックインまでさてどうしよう という時、車を運転する立花さんがうっかり(しっかり?)御殿場のアウトレットに誘導して くれました。    助っ人のOQさんが、御殿場アウトレットの良さを語ってくれていたので、車内はすっかり アウトレットを楽しむ雰囲気になっており、兼田さんの車の皆様を巻き込んでアウトレットに 行きました。気軽に好きなブランドの品も買えそうなので、お金があるときに、また行こうと 思いました。  宿は、きれいで快適でした。ご飯もハンバーグ屋で好きなものを食べれました!明日サポート をする宮本君が同じ新潟出身ということが分かって、なんかテンションがあがりました(笑)
朝は、馬返し上で待機するのですが、車に乗り切れなかったため、青年の家から、一人徒歩 で移動しました。5キロくらいでしたが、歩いて1時間近くかかりました。その途中の道で自衛隊 の車や、選手を乗せたと思われる車にジャンジャン追い越され、後部に乗っている方々に 振り返ってチラ見されるということが、何回もあり、『同情するなら乗せてくれ〜!』と 思いました・・・。やっとこさ到着したのですが、別の車で着いているはずの宮本君を見つけられず、しばらく いろんな人に電話をかけて探し回ったりしていました・・・。お騒がせしてすみませんでした。 特に私の手を必要としない、よく出来た宮本君を、若干見失いつつ、何とか東大チームも 白樺チームも無事に送り出しました。襷リレーのときは、転がらなくても見ていて楽しいです。
 このあたりで風邪もだいぶ軽くなり、(アウトレットに行っている時点で大丈夫なのでは?) 休憩中、池内君から『兼田さんが大変そうだった』と聞いて心配でしたが、特に史子さんが何も 言われていなかったので大丈夫だろう。と思いました。その後も池内君となんやかんや話して 楽しく待っていました。池内君、白樺入りだよね!?(笑)  皆さん通過予定時刻ちょうどか、ちょっと遅れているくらいでしたが、リスタート時刻が、 12時から12時10分に変更になったようで、東大と白樺はギリギリくらいで行けやしないかなぁと 思っていましたが、ちょっと難しそうだと分かって、残念でした。でも、ハートブレイクが襷を つなげていたので、許田さんが、無事走りきれたのかと思うと少しは救われました。  サポートしている池内君が、行きを走り終えて、自分自身の予定通りのタイムを出せたようで、 下りで足の皮が向けるのを心配しつつも、この大会に楽しさを見出しているようにも見えたので、 このまま良い状態で送り出そうと思いました。
タッチエリアで真剣な表情を浮かべているところから離れて、写メをとったり、襷渡しのところで、 一気に沢山の人が来て、無茶をすると危なさそうそうだと思ったので、怪我しないといいなと思い 『来年もあるからね♪』というように声をかけたと思います。リラックスした感じで走れるようにとか 大会を楽しんでくれたらと心がけていましたが、そう思ってくれていると良いです。  リスタートの集団が来るとき、リスタートじゃない選手もいたようですが2番手くらいで「40番!」 と言われたので、おお!宮本君はこんなに速いのか!と嬉しく思いながら見送りました。

宮本君はさっきまで(走り出す前)とは違っていて苦しそうな表情を浮かべ(当たり前…)足の うらを痛がっていました。水ぶくれが出来ており、氷を渡したのですが、安全ピンを要求され、 止めたのも聞かずに自分で水ぶくれを潰していました。必死に走っていたのだろうと思います。  本人に「速かったね☆」と言ったところ「いや、そんなに速くはなかったですよ。もっと出来た と思います。」と悔しそうにしており、すごいなぁと思いました。
 そして、ゆっくり支度をして、自衛隊の車を待っていたのですが、私たち二人がかわいらしい からか(笑)運営の方々がやってきて運営者の食べ物の残り(梅の砂糖漬けやスイカ)をくれました。 暑いなか、そして、ちょっと疲れているなかで、とても美味しかったです♪  競技場はとても暑かったのですが、少しだけですが走り終わったみなさんにお会いして、いや〜 今年もいい大会だったな!と思いました。  皆さんの一言感想とかあったのかなぁとか思うと、最後まで白樺の輪の中にいたかったので、先に 帰る車の方に行ってしまったことがとても悔やまれます。結果もすぐに分からなくて残念ですが、 後日のお楽しみということで。  登山駅伝をはじめ、チームで集まって何かをするのは、とても楽しいです。なかなか集まって ゆっくり話をする機会もないので、これからもチームの集まりとかには出れるだけ出て交流したいと 思いますし、もっとTEAM白樺でちょくちょく色々なことをしたいなぁと思います。    お疲れ様でした!来年も楽しみです!!トレーニング頑張ってください!声を掛けていただければ、 試走の際、併走は無理ですが、荷物番くらいならやりますので。

 追伸★今年も京都土産の八つ橋を持ってきていたのですが、渡すのを忘れていたため、昨日までいた 某施設の方々にあげてしまいました・・・。

2.8合サポート:金野さん

富士登山駅伝のサポーターとして2回目の夏がやってきまし た。「サポーターをやりたい!!」という思いを抱いて参加し た去年。2合8勺で選手の皆さんが過酷な条件の中襷を渡すと いう思いを抱き必死で走る姿をみて、すっかりこの駅伝のとり こになってしまいました。  今年は去年と異なり、スタート時間が10分遅くなったり1 区の区間が長くなっているにも関わらず関門は一緒という厳し い条件。それゆえ、去年以上に襷をつなげて欲しいという気持 ちが強くありました。
当日は選手と一緒に太郎坊から中継地点に登りました。(で も、実際は日ごろのトレーニング不足から奥さんと鹿島田さん から大分遅れてしまいました。)中継地区に到着してからは東 北大現役チームとOBチームと合流し、襷がつながるのを待ちま した。この間、他の地区のサポーターと連絡をとり、通過時間 と予定タイムと照らし合わせながら一喜一憂していました。そ して、常に関門のことが頭から離れなかったため、12時が近 づくにつれ携帯を見る回数が増えていました。色んなことが頭 をよぎっているときに、太郎坊の立花さんから「関門が12: 10になった」という連絡を受けたとき、思わず涙があふれそ うになりしゃがみこんでしまいました。  結果はほんのわずかな差でピンクの襷でゴールを迎えること になってしまいましたが、去年以上にチーム一丸となり襷をつ なげたいという思いが強かったのではないかと思います。  富士登山駅伝は日本一過酷な駅伝といわれています。それゆ え、一本の襷にかける思いは強く、この襷から参加した回数分 の素敵なドラマが誕生するのだと思います。来年も素敵なドラ マがうまれることと思います。来年こそはトレーニングを積み 、選手の方の荷物を持ってガッツリ富士山を登れるサポーター として参加したいと思います。
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