第30回富士登山駅伝 2005/08/07(日) No.3 選手の記録
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レース当日へ
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サポーターの記録へ
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2、10区:兼田選手
富士登山駅伝、参加させていただきありがとうございました。
ふくらはぎ・腿・腹筋・肩、その他いろいろ筋肉痛で悲惨な状況です。
チーム成績4時間40分を今年も達成し、来年につながったことはよろこばしいことでした。
個人的な結果は、例年以上に苦しく、大ブレーキとなってしまいました。
今年で10年連続出走となったので、多少準備不足でもなんとか走りたい
という思いもあったのですが、ロード区間はごまかしがききませんね。
8年ぶりの2区・10区でしたが当時のベスト記録
33分には遠くおよばず登り25分・下り15分の40分。
大健闘の山岳区間の選手に申しわけない気持ちでいっぱいです。
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来年以降の参考として
2区・10区は登坂力でカバーできない。kmあたりのタイムを
意識した練習を積んでのぞむ必要あり。
2km手前の一度平たんになる部分でタイムを上げる必要あり。
オアシスのような平たんであるが、そこで一気に気力がもっていかれてしまう。
青年の家には朝6時頃いかないと、屋内に提供されている毛布部分がとれない。
それでも屋内の場所は空いているので、銀マットか毛布があればOK。
チーム数も増えて、タスキリレーが混雑。なにかうまい方法があれば。。。
最後になりますが、サポーターの皆さん・選手の皆さん本当にお疲れさまでした。ありがとうございます。
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4、8区:出島選手
今年は、自ら4・8区を志願したこともあり、みっともない成績を出せないので例年以上に
気合いを入れて準備しました。大阪に引っ越してきてからは、トレーニング時間は増えたと
思いますが、比較的平らな地形と気温の高さから集中して有効なトレーニングができませんでした。
特に大阪は登山駅伝山岳区に向けたトレーニングの環境としてはあまり良くありません。
このような理由と、4区以上の山岳区間は、その区間を走ったという経験が物を言うので、
今年はなるべく富士山に多く行き、そこでトレーニングするように心がけました。
実際、5月以降から5、6回富士山へ行き4区を走り込みました。
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足場の良いところなど、コースの詳細をつかむことができ、比較的空気が薄いところ
でも走れるようになりました。練習は十分とは言えなかったですが、
例年より自信を持って大会に臨むことができま した。
前日の試走でも、練習量の割には落ち着いていいペースで走れました。
さて、本番のレースですが、作戦としては序盤を抑え気味に走り、長い直線の中盤からスピードを上げて
直線後半にある傾斜変換を歩いて登り、呼吸を整えてからつづら折りに入り、
足場の良いところだけ走り、後は歩いて登る計画でした。傾斜変換終わりまでを20分で到達し、
残りのつづら折りを10分で登るペース配分にする予定でした。
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実際はというと、序盤は抑え気味に走りました。前との差はたすきを受けた時点では
1分程度あったかと思いますが、
コース序盤にある山小屋付近ですでに前を行く5人程度の集団をとらえました。
ここでは、あえて抜かさず直線に入ってから抜き、そのままのペースで登り、数人を抜きました。
今思うとここのペースがオーバーペースだったかも知れません。
直線後半の傾斜変換の手前100mあたりで苦しくなり、前の人のすぐ後ろにつきながら、
歩いてしまいました。ここで失速し、傾斜変換終わりでは23分で,予定より3分も遅くなりました。
つづら折りで巻き返しを図ろうとしましたがスピードを出せず、
結局31分半と目標を大きく下回ってしまいました。
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4区の下りは大砂走りの一部区間を含んでいるので、靴の中に砂が入らないように
十分な対策が必要です。靴に砂が入ると痛くて走ることができません。
靴の上からさらに大きな靴下をはいたり、ガムテープで靴と靴下の間をふさいだりと
各選手が様々な工夫をしています。僕はテーピングテープで靴と靴下をぐるぐる巻きにして
砂が入らないようにしました。中継所は非常に急峻な勾配で、かつ霧が立ちこめていたので、
5区の選手が見えると、あっという間に中継となります。
田崎とのたすき受け渡しは、田崎が飛び込んでくるダイナミックなものでしたが
たすきを確実に受け取ることができました。
Team白樺のタスキ渡しの映像
ファイルサイズが大きいので(17MB)ご注意ください。クリックして再生されない場合は「対象をファイルに保存」で
ファイルを取り込んでから実行してください。
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下りの序盤は非常にいいペースで前の選手に追いつきそうになりましたが、突然脇腹が痛くなり
スピードが落ちてしまいました。下りは地面の柔らかいところを走るのがコツですが、
僕は筋力が弱いためフラフラしながら走ることになり、これもスピードを落とす原因となりました。
結局、1人に抜かれました。いままで山岳区下りで抜かれたことがなかったので、
正直言ってショックでした。タイムも平凡なものでした。
以前4区を走ったときよりも2分以上も遅かったので、かなりショックでした。
今年のレースで痛感したのは、長い長い登りを一定ペースで登り続ける力と、
フカフカな斜面を確実にとらえて走る力が不足していたなあと言うことでした。
また登山駅伝に出るチャンスがあれば、これらの対策をしたいと思います。
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5、7区:田崎選手
今年は5・7区を走ることになり、去年走った4・8区に比べて区間登坂距離もぐっと増える。
酸素濃度も格段に薄くなることが予想される。過去の白樺の同区間における結果をみると
5区で55分〜57分ぐらいでクリアしていたので、目標もそのあたりに設定した。レースコン
ディションは上記のように下界とは異なる環境のため、トレーニング方法がレースの明暗
を分けると思われた。理想は実際にコースを何度も走り込むことが最良の適応トレーニン
グになるのだが、時間的制約のため断念した。そこで、限られた時間・環境の中で行える
トレーニングとして、2項目を重点的に行った。
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1つは平日におけるトレーニングセンターで
のランニングマシーンを使用したトレーニング。これは、勾配最大15%がつけられるランニ
ングマシーンを利用し、実際に走る区間の登距離1000mを走る。デジタルで走行速度が設
定できるため、めりはりをつけるため8′30″/km〜6′30″/kmの間でインターバル形式
で負荷を与えて行った。2つめは実際に近郊の山を走るトレーニング。新潟から車で30分
のところに標高500m程度の山があり走行区間の登距離1000mをカバーするため、山頂ま
で走った後に上ってきたコースとは逆の方に下り、また登り返してくるトレーニングを行った。
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レース当日、追い込みきった苦しい形相をした4区出島さんからタスキを受け、5区はスタ
ートした。作戦としては、序盤を抑え気味に行き30分過ぎからペースを上げるというもの。
作戦通り序盤は淡々とペースを刻み数人を抜かしいい感触を得ながら進む。中盤、去年
白樺で5区を走った金田さんの姿を発見。じりじりと差を詰めるがなかなか追いつくにはい
たらない。それどころか、心拍数がどんどん低下し150程度なのに体が苦しくて動かない
状態に陥り金田さんとの差が広がり始め、さらに序盤で抜かしたランナーに抜かれ始める
。最後はもがいて後藤にタスキをつないだ。タイムは58分を少しきった程度。最低限の目
標には届いた。
素晴らしいタイムで帰ってきた後藤から再びタスキを受け取り、7区はとにかくもがいて
フカフカの砂激斜面を下った。実は去年の8区下りでもそうだったのだが、如実に下りが
遅い。今年も下りに関しては特に対策を講じてなく、やはりパッとしないタイムで出島さん
にタスキリレーをした。タスキを渡す間際に転倒、流血のおまけつきであった。
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チームの結果としては一般クラスで45位でタイム的にも来年のシード枠を確保でき、自
分を含め富士登山駅伝の経験が浅いメンバーが多いことを考えると十分に実力を発揮
できたのではないだろうか。
個人的な結果としては、登り下りとも区間80位台ととても納得のいく結果ではなかった。
登りに関しては、レース中盤までの感じはとてもよかった反面、後半の失速が大きく結果
に響いた。これは練習の負荷は適切だったが、練習の時間、そして特に練習の頻度が少
なく持久力が不足していたことが原因である。今年の練習量を基準にして考えた場合、1
週間のトレーニング量として、山での登坂トレ×1、朝練(バイク)×4、夜練(登坂ランニン
グマシーン)×2、以上の項目を消化できれば十分に55分を切れるタイムを出せると思う。
また、下りにおいては、脚の回転力?を強化することで鬼のような下りをハイペースで走
りきれると思うので、400〜1000mのインターバルを取り入れ高回転でもがくことに慣れる
ことが有効だと思う。
来年の個人的な目標は、4区を走る場合は28分台、5区を走る場合は54分台です。
応援してくださったみなさん、重い荷物を担いでくれたサポーターのみなさん、どうもあ
りがとうございました!!
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山頂区(6区):後藤選手
■8月4日(木) 晴れ
鈍行にガタガタ揺られること??時間、JR富士宮駅に到着。この日は富士宮出身の友人Iの実家に泊まらせてもらった。夕飯もご馳走になった。彼の実家はお惣菜屋さん。店で出しているという鳥の唐揚げがすんごくおいしかった。
■8月5日(金) 快晴
友人Iと共に富士山に登りに行く。当然、試走が目的である。午前6時半、太郎坊の駐車場に到着し、準備を済ませ出発。登っている途中、親子で杖をつきながら登っている人がたくさんいた。なんか…いいなぁ〜
最初はゆっくり歩いていたが、調子こいて走ってみたら酸素の薄さを痛感。それでもかなり速いペースで登り、5区と山頂区の中継点、7合5勺には3時間弱で到着した。そこからは友人Iに自分の荷物を託し、試走開始。やはり不安定なガレ場は走りにくい。でもなんとなくコツはつかめた。登り37分、下り14分、計51分。流してこの程度ならまずまずである。本番では50分は切れるだろう。楽しみだ。
この日も友人Iの実家にお世話になった。店で金曜だけ出しているという餃子が最高にうまかった。
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■8月6日(土) 晴れ一時雨ときどき雷
広島平和祈念日。8時15分は富士宮から御殿場に向かう電車の中で迎え、静かに黙祷を捧げた。60年前の今日のあの時間、ああして電車に揺られている人がいたのだろう。
御殿場に到着後、山頂区を走る自分は7合9勺の小屋に泊まるため、早めに登山開始。出島さんの車で太郎坊まで送ってもらう。今年はマイカー規制がかかって新5合目まで自家用車で行くことができない。新5合までシャトルバスはあったのだがバスの時間を考えると太郎坊から登ったほうが早いだろう、ということで太郎坊から登ることとなった。しかしこれは大きなミスだったかもしれない。
山頂サポーターのブンブンさんと共に登山開始。しばらく一緒に歩いていたが、ブンブンさんが「もうひとりで大丈夫」ということで、 ブンブンさんをおいてペースを上げて登っていった。7合を過ぎたあたりから雨がぱらつき始め、次第に激しくなっていった。ブンブンさんが心配でしょうがない。が、そこから下に降りる気になるわけもなく、7合9勺の小屋に向かった。
小屋までは約3時間でついた。受付をすませて2人分の場所を確保。2階のいい場所がとれた。着替えてボーっとしていると下から男性がヌボーっと姿を現した。山のゴジラこと、松井英樹さんである。超ラッキー!!!英樹の真上で一泊♪
さて、ブンブンさんはなかなか到着しない。携帯もなかなか通じない。結局登山開始から7時間半後、ブンブンさんも到着。お疲れ様です。シャトルバスで新5合から登った人のほうが早く着いていたりした。やっぱりバスを使うべきだったかも。
夕飯はおかわり自由のカツカレー。たらふく食いたいところだけど、高山病で激しい頭痛と吐き気。あまり食えなかった。その後はすることもないので、午後7時くらいに就寝。でも頭痛で眠れない。心臓の鼓動に合わせてズキズキ痛む。吐き気も増してくる。正直「明日棄権しようかな」とか考えた。みなさんごめんなさいm(_ _)m
結局頭痛のせいでほとんど眠れず。
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■8月7日(日) 快晴
決戦の朝、5時くらいに起床。(ずっと起きてたけど・・・)
御来光なんて見る余裕もなく、相変わらず頭痛が続いている。でもこれだけはどうしようもないので耐えるのみ。食欲もなく朝食が喉を通らない。でも高校のときの登山部の先生に言われた言葉「山では吐いてでも食え」を思い出し、無理やり胃に詰めた。
準備を済ませると、中継点へと向かう。すでにアップを始めている選手で賑わっていた。本来ならわくわくしてくるのだろうが、頭痛でそれどころではない。やがてコールが始まる。
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最初に来たのはやはり滝ヶ原だった。遅れること37〜38分、OLKが来た。このチームだけには勝ちたい。OLKの襷リレーから3分後、ついに来た、5区田崎さん。必死の形相で走ってくる。受け取った襷はずしりと重かった。単に染み込んだ汗の重さではない。レース中はとにかく必死でよく覚えていないが、走り始めてすぐに松井さんとすれ違った。彼速すぎ。風のごとく通り抜けていった。その後もとにかく辛くて、どんなに息を吸っても吸えている気がしない。依然として頭も痛い。でもきれいなハンコをもらうために襷をひろげる事だけは忘れなかった。これが山頂区の最も重要な任務だと思う。
結果、登り35分、下り13分、計48分。試走タイムよりはるかにいいタイムだった。チームとしても4時間40分をきり、シード権獲得。来年につなぐことができたのはすばらしいと思う。
来年も是非山頂区を走りたい。次は45分台だ!!
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レース当日へ
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サポーターの記録へ
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