帰国
2011/03/22(火)
日本到着は3月24日
さらばイースター島へ
チェックアウト時間ぎりぎりまでホテルにいた。11時にチェックアウトし荷物を預かってもらって歩いて出かける。 良く晴れていたので(超快晴)アンデス見えるかもと思いサンタ・ルシアの丘に登ったが、やっぱり霞んでいて見えず。 近くの高い山(たぶん標高2000〜3000mくらいか?)は見えているが、それはアンデスではないよなあ。 サンタ・ルシアの丘の近くにある民芸品市場に行ったが、やっぱり「これ」というものはなく、 しかもイースター島に行った上で帰りに買ってもいいかなと思っていた物を売っていた店は今日は休みだった。 セントロまでぶらぶら歩き途中の普通に地元の人が買い物に行くお店などを見たりする。
昼食はアルマス広場まで戻ってきて、さっぱりしたものを食べたかったので、あっさり味パスタを探したが、 どこも「肉!」という感じのものばかり。ホットドッグやハンバーガーやロモ・ア・ロ・ポブレ見たいなごついやつ。 いくつかのお店にあったパステル・デ・チョクロは炭水化物だけど甘ったるくて何度も食べたいとは思わないし。 ぐるぐる歩き回った後マクドナルドに落ち着く。
17時にホテル・ニッポンに戻って荷物を受け取りメトロと空港バスでサンチャゴ空港へ。 18時に空港到着。自分のフライトは20時50分なので、ちょっと早いかなと思いつつインフォメーションを見ると21時過ぎのフライトまで表示されているのに 自分のフライトは表示されていない。「またか・・・」(イースター行くときも)と思いつつ、サマータイムが延長された影響で 1時間遅れているだけかもしれないと希望的観測で待つことにする。あまり表示されないようだったら、また聞き込み調査を始めなければいけない。
うろうろ歩いていると「樺澤さん!」と声をかけられた。今日イースターから戻ってきたユミさんがいた。 次の目的地へのトランジットで夜中の1時まで空港待機らしい。 フライトはサマータイムの分で1時間遅れているだけで予定通りだった。チェックインが終わったとき係りの人が「Good Luck Japan!」と親指を立ててくれ たぶん「地震で大変だけどがんばれよ」ということだと解釈する。自分は大地震やその後の混乱しているときに日本にいなかったから その体験はできていないし話を聞いても体験した人と同じようには思えないと思うけど、海外の人たちがどのように反応してくれたかは 国内にいた人よりもわかるなあと思った。
余ったペソを使うためにマグカップとチョコレートを買う。 出国審査後にスターバックスでケーキとカフェラテを夕食代わりにしスターバックスにあったモアイのマグカップが 土産物屋のよりも気に入ったので買う。最後搭乗直前にアイスティーとお菓子を買って残り1000ペソ(200円)くらいになった。
機内でアメリカの入国審査カードをもらったがスペイン語バージョンでよくわからない。ダラス到着直前に記入しはじめたが何を書くべきなのか わからない項目がいくつか残った。たぶん税関の前に英語版のフォーマットがあるだろうからそこで仕上げればいいやと思い未完成のままダラス到着。 税関の前には各種言語のフォーマットがあったので日本語フォーマットを見ながらスペイン語フォーマットのほうを仕上げた。 ちなみに各言語フォーマットの記入例が貼り出されていたが日本語フォーマットは韓国のマークのところに、 日本のマークのところには中国語のフォーマットが貼ってあった。アメリカでは日本も中国も韓国も似たようなものなんですね。
入国審査のカードはESTAの申請をしてあれば不要だったようで特に要求されずに通過。荷物受け取りのところで念のため自分の荷物は ダラスではピックアップ不要で成田まで直接送られることを係りの人に確認して出口へ。 出発便の確認をすると成田行きは予定通りに10時10分出発になっていた。時差の修正は空港ごとに、そこの時計に合わせればいいやと思って いたのだがダラスはなぜか時計が見当たらない。英語を学習しはじめたときに出てくるけど、 まず使わないだろという言葉「What time is it now」(this is the penに匹敵)を使うことになるかと思った。 うろうろしているうちに店の奥にある時計が見えたのでそれで時刻あわせ。
外にいても何もないので、すぐに出発ロビーへ入る手荷物検査に行く。搭乗まで2時間以上あったがネットが使え、 電源も確保できたので特に暇なことはなかった。成田行きの出発ゲートには日本人がたくさんいて、いよいよ旅も終わるんだなあと思う。 しかしひねくれ者なので日本人の集団の中にいるのが嫌で(英語できないくせに)2つ隣のゲートのベンチで待機。

予定通りの時間に出発して成田へ。所要時間は13時間ほど。PCでレポート書いたり音楽聴きながら寝たりの繰り返しで時間をつぶす。 帰国まであと2時間というところで、旅の全工程のレポートをざっくり書き上げた。細かいデータを確認したりの追記は必要だが。 今回はパソコンを持っていったがいろんなところでネットも使えるし本当に便利だった。バッテリー駆動時間が長いから飛行機の中でも がっつり作業できる。

隣の座席の台湾出身でアメリカに33年住んでいるというおばちゃんと話をする。自分が英語ちょっとしかわからないんだと言うと それに合わせてゆっくり話してくれ、わからない単語は別の言葉を使ってくれたりしたので、なんとか会話が成立した。 どこに旅行に行ってきたとか、ほんとにちょっとしたおしゃべりだけど・・・なんかメールアドレスの交換もしちゃいました。 英語を積極的に話して勉強するといいよと言われました。

日本時間の13時半(3月24日)に成田到着。成田で軽く食事をしてバスで横浜へ。意外と地震の影響は感じず町も実家も普通だった。 長かったけど思ったより普通に旅していれたし、ここまで来たらもっと長くても問題ない気がする・・・。(気のせいか?)
さらばイースター島へ

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