さらばイースター島
2011/03/21(月)
イースター島5日目へ 帰国へ
朝8時半に起きてシャワーを浴びて荷物の整理。パソコンでレポートを書きながらクラッカーとコーラで朝食。 今回は旅の間のレポートを旅の間に書いて、帰ってからは別のことに時間を割きたいのだが、 旅の日数が多いので書いても書いても追いつかない状態になりつつある。 かといってレポートに忙殺されて旅の内容が薄くなっては意味がないので、あくまで隙間時間を使うことが前提。 11時にカワグチさんが車を出してくれて空港にチェックインに行く。宿から空港まで車で5分程度なのでチェックインをしてからまた宿に戻ってゆっくりできる。
(あれ?最終日全然写真撮っていなかった・・・)

チェックインして宿に戻ってからユミさんが作っておいてくれたチャーハンで早い昼食。 食材は主にタケさんが残していったものか。すっかりご馳走になりっぱなしなので代わりにラーメンを残して行くことにする。 イースター島最後の1時間は民芸品市場へ。初日に見てきていまいち惹かれるものがなかったのだが、1つくらいイースター島のものを 持ち帰ってもいいんじゃないかと思いモアイ像を物色。しかしやっぱりモアイ像はあっても無意味な気がするので 飾り物の絵が描いてある皿を買った。椰子の木とアナケナビーチのモアイが描いてある。 値札は10000ペソになっていて、店のおばちゃんも10000ペソと言っていたのに買うことを決めたら8000ペソにしてくれた。 サハラの旅のときはこんなことはありえないので改めてイースターってのんびりしたところだなあと気に入ってしまう。

宿に戻って少しするとカワグチさんが迎えに来たのでユミさんに挨拶して宿を出る。 数日間だったけど昨日まで一緒にいた、タケさん、ミツノリさん、タカさん、ユミさん、それぞれ別れて旅立っていくのは 若干さびしいものです。それぞれの旅の便りをまたどこかで聞けるといいなと思いつつハレ・カポネを後にする。 ハレ・カポネの宿泊者であることを示すリストバンドを滞在中に付けていて、出発の時外すにはハサミで切るしかないのですが お守り代わりに帰国するまで手首に付けておくことにしました。

空港に13時過ぎに到着。乗っていく飛行機はまだ来ていないようです。とりあえず手荷物検査を通って中に入ります。 出発ロビー(ロビーってほど広くなく待合室と言っていいかもしれない)でwifiが使えたのでネット・メールのチェックを一通りおこなう。 今日は宿の衛星回線ではネットに繋がらなかったので。土産物屋を見ているとイースター島のBUFF(バンダナのようなもの)を見つけた。 BUFFは重宝するので迷わず買う(8000ペソ)。ロビーを眺めていると見覚えのある人が何人もいることに気が付く。 イースターに来るときに同じ便だった人がけっこういるっぽい。便数が少ないので似たような日程になるんだろうな。

14時過ぎてようやく搭乗。窓側の席ではなかったけど離陸して見えなくなるまで しっかり窓の外を見てイースター島を目に焼き付けました。イースターへの1人旅のテーマは「自分を成長させる旅」だったんだけど けっきょく宿の日本人と行動を共にしていて楽しちゃったので、テーマは達成できていないかも。治安が良すぎて緊張感のかけらもなかったし。 でも、いろんな生き方をしている人に会って刺激をもらったからいいのか。自分もいつかバックパッカーに(笑)

飛行機の中では読書とレポート書きをしてあっという間にサンチャゴ到着。あっという間といっても4時間半くらいは乗っていますが。 イースター時間で19時に到着し時差修正をして21時。出発の時カワグチさんが「国内線でも本土への植物の持ち込みは厳しくチェックされる」 と言っていましたが、まったくチェックされるような場所はなく荷物を受け取ってすぐに出口でした。

さっさとホテルに入って夕食を食べに行きたいのでタクシーでホテルへ向かう。空港内のタクシーカウンタでセントロのホテル・ニッポンに行きたいと言うと 向かう地域ごとに固定料金が決まっていてカウンタで料金を支払う。13000ペソだったので日本円で約2600円。けっこう距離あるし有料道路も通るので日本の感覚だと安いかも。 まあバスだと1400ペソでセントロまで行ってしまうんですが。早く着きたいのとイースターに行く前にサカイさんに「タクシーをホテルに横付けするように」と 言われているので迷うことなくタクシーの選択。しかしタクシーでセントロ・旧市街に差し掛かっても公園にはジョギングしている人がいるし 女性が1人で歩いていたりして治安が悪いようにはまったく見えない。20時過ぎまで明るくてタクシーで通ったのは21時半なので、まだ夜遅い範疇ではないのか? 何時以降だとやばいのかとか基準が知りたい気がする。タクシーの運転手にチップで1000ペソ渡す。 イースターで餌付けされていたので食費が浮いてペソ余りそうだし。

ホテルはイースターに行く前に予約しておいたので、予約してあることを告げてチェックイン。先週泊まったときは先払いだったが今度は後払いになっていた。 夜の当番の人がお金を扱う権限がないのかなと思う。今回の受付の人は英語で対応しつつ「ちょっと待って」だけ日本語で言っていた(笑) 部屋に荷物を置いてから向かいのレストラン・ハポンへ。黄金パターンです(笑)

今度は1人なのでカウンタに通され前には大将(日本人)をはじめ寿司職人な方々。でもメニューを見て、うなぎ丼とホタテフライにしました。 大将目の前にいるのに出番なしです。大将は「日本大変なことになっちゃってるね。帰らないほうがいいかもしれないよ」と話しかけてきます。 自分は会社を辞めて4月から独立して仕事をするんですよという話をすると、お祝いにとお刺身をサービスしてくれました。 うなぎ丼とホタテフライで12900ペソ(2580円)です。イースター島の甲太郎の定食と同じくらいの値段。やっぱりイースター(っていうか甲太郎)は高いって。

砂漠お疲れ様会をしてくれたチリ在住日本人の方からメールがあって、チリの会社でも日本の地震のために黙祷がおこなわれたとのこと。 5分もやったらしい(長い!)。想像以上に世界中の方が日本の地震のことを心配しています。 日本人は海外で何かあったときに、そこまで心配するだろうか・・・自分はしていなかったな、遠くで起こっている出来事程度にしか捕らえていなかった。 砂漠レースで海外に出ることで、ほんの少しだけでも今までよりも大きな視野でいろんなものを見れるようになってきているのを感じる。
イースター島5日目へ 帰国へ

[戻る]