アタカマ・クロッシング 2011/03/05(土) ブリーフィング・装備チェック
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サン・ペドロ・デ・アタカマ(2日目)へ
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ステージ1へ
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朝早く目が覚めてしまったので窓の外側に温度計を置いて気温をチェックする。
サン・ペドロ・デ・アタカマに入って思ったほど寒さを感じないので上着を装備から外すことを検討。
ここでは明るくなるのが午前7時過ぎなので、そのころ最低気温の10℃になった。
10℃だと上着なしでもなんとか耐えられそうだが初日はスタート地点が標高3200mであること、
最低気温が朝7時ごろでレースのスタートは8時のため毎日最低気温の中で準備をしなければいけないことから上着を持っていくことに決める。
今日ブリーフィングを受けたらもう1週間後まで野宿生活なので、最後にシャワーを浴びてからレースウェアに着替える。
装備のパッキングの取材をしたいと言われていたので部屋で装備品の説明をおこなった。
長く話をしていると標高のせいか呼吸が苦しくなった。取材が終わった後で昨日買った民族衣装(ポンチョ)を着て、
宍戸さん、佐藤くん、自分でポンチョ3兄弟の写真を撮った。
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10時からホテルの隣の広場でブリーフィング。ここで今回のレースに出場する30カ国110人の変態が集結する。
ルール説明などいろいろが1時間近く続きとにかく長かった。
自分は英語の聞き取りがほとんどできないのでなおさら暇で苦痛に感じた。要点だけ近藤さん、荒井くんに教えてもらった。
11時から装備チェック。チェックは3グループに分かれておこなわれるが日本人はみんな最初のグループだった。
旅行保険の情報を事前に送っていなかったのでここで伝える。食料が少し足りないのではないかと言われたが
バックパックに背負わない今日の夕食と明日の朝食を別の袋に入れていたので、それを見せて合格。
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レース前だというのにお腹の具合が悪くこまめにトイレへ。でも日本を出るときから不調だったので、きっと大丈夫と思う。
調子が悪いままだったらレース中はお腹の薬が活躍しそうな感じだ。装備チェックの後でホテルに荷物を預けるという順番だったので
最後のブログ更新をしてから荷物を預ける。通常はホテルに荷物を預けてから装備チェックなのだが。
この順番だと装備チェック後に装備の入れ替えができてしまう。
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16時ごろバスで今日のキャンプ地へ移動。今回はサハラのように6時間とかの大移動ではなく1時間程度なので楽そうだ。
カラマのほうに向かって舗装路を走り途中から別方向の舗装路へ。初日のキャンプは舗装路沿いとかかなと思っていたら
バスにとってはありえないようなオフロードに突入する。運転手がよくOKしたなというような荒地をゆっくりバスは進み時々川も渡る。
はまっちゃうんじゃないかとヒヤヒヤしながら見ていると先頭のバスが川にはまって動けなくなりました(爆)
バンパーが地面にぶつかって割れています。前回のエジプトもバスが煙を吹いて止まったので「さすがレーシング・ザ・プラネットだ」と
自分の乗っていたバスを降りてみんなでバスを押したりして勢い良く脱出。バンパーは取れてしまいましたが・・・。
ボスのメアリーは「マイ、ストーリー」とか言っていたそうです。さすがわかっていらっしゃる。
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さらにめげずに悪路を進んで今日のキャンプ地へ到着。バスはこれからまた悪路を戻って行きます。運転手かわいそうに・・・。
キャンプ地周辺を軽く見てまわってから宍戸さんとたこあげをする。自分のテントNo.4は日本人は宍戸さんと佐藤くんが一緒。
テントNo.3に他の4人の日本人。取材のためなのか関係者がコンパクトにまとめられている。
同じテントの女性ワンダさんは脚が不調なのか怪しいマッチョマンに針を打ってもらって悶え苦しんでいます。
取材スタッフがマッチョ(ユーセフという選手)に針師なのか聞いてみたところ本職ではないようです。
きちんと悪いところに針を打てばそんなに痛くはないそうなので、なんだか怪しいです。
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今日の夕食だけはアルファ米。レースが始まっていなくてもアルファ米はなぜか食欲が低下します。明日からは朝晩カップラーメンを投入できるので問題ないでしょう。
取材スタッフが全員揃ったので顔合わせ自己紹介をおこなう。明日からのレースでは要所要所で取材スタッフが並走して撮影をおこなう。
今まで本当にレースするのかなという感じだったがキャンプ地に入って自然にテンション上がってきた。
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