第34回富士登山駅伝
2009/08/02(日)
No.3 選手の記録
レース当日へ サポーターの記録へ
2、10区:新倉選手

往路(上り・4.64k/高低差345m):26’03”(?)
復路(下り・同上):16’??”〜17’??”

去年1区(上り・5.48k/高低差184m)を走って26’08”だったから、(今年は2区だったけど)一応は目標であった去年の自分超えはできたかと。けど、理想は25’40”だったから課題は残ったかな。その課題は来年に持ち越しということで。復路は時計を押し忘れて(てかそんな余裕は皆無でしたw)計測できず(汗)けど、たぶんこれくらいで走ったのではないかと・・・。17分掛かってたとしたら遅すぎwww出直します(滝汗)

今年は全体で女子が9人も参加していた模様☆とっても心強かったです(^▽^)私の走った2区は自分も含めて4人も女子がいましたよ♪(一人は5000mが16分半とかいうめちゃめちゃ速い人だったけどw) あと、富士登山競走の女子優勝者の神原さん(ラフィネRC)が2区の付き添いで来てました☆

富士登山駅伝に出ると、学ぶことが沢山あります。今年も色々と学ばせていただきました。そこで一番に感じるのは、やっぱり選手たちのこの駅伝に懸ける想いの重さがハンパないってことです!緊張感が他のお楽しみ的な駅伝とは全然ちがう(汗)だからこそ、自分自身もハンパな気持ちでは走れないっていうプレッシャーもあったりするのですが、その緊張感が私にとっては良い刺激となります!一流の選手たち(しかも99%が男子)と同じ舞台で走らせてもらえる幸せに感謝です。

そしてやっぱり今年思ったことは去年と同じ。
「(彼らのように)速くは走れなくても(彼らのように)強くなりたい」

4、8区:出島選手

富士登山駅伝に参加された皆さんお疲れ様でした。

今年は近年まれにみる荒天で残念ながら山頂区はなくなり、5区折り返しとなりました。レース中も天気は非常に悪く、選手も大変でした。

山頂区の後藤さんは仙台より試走も含めて2回もわざわざ駆け付けてくれ山小屋に泊まったにも関わらず走る事ができなかったのは非常に申し訳ないです(といっても天気のことなのでどうしようもないですが・・・)。サポーターのお二人には土砂降りの雨の中、選手をサポートしてもらいありがとうございました。天気はどうしようもないのですが、今年の富士山はどうも天気が悪いですね(登山競争も5合目中止、その他事故多数)。

このような状況にもかかわらず(単純比較はできませんが)例年より良いペースでレースを展開でき、通常の大会ならもう少しで繰り上げスタート回避という結果だったことはうれしいです。もう少しチーム力を上げて余裕で繰り上げスタートを回避できるチームを作りたいですね。できれば多くの人に参加表明をしてもらい選手選考レースをやるぐらいでした。盛り上がるといいですね。

個人的には最低限の役割は果たしたと思いますが全く納得がいくものではありませんでした(毎年同じことを言っている気もしますが・・・)。

苦しそうな樺澤さんより襷を受け取り、抑えめのペースで走るものの前方に全く選手が見えないとどうも不安でスピードも落ちると思い少し速めのペースにしました。山小屋を過ぎるころに前をいく選手が見えてきて様子を見ながらついていきました。そのペースでついていくだけで数人を抜かすことができましたが、全行程の1/3を過ぎる辺りでかなり苦しくなってしまいました。今までだったら2/3の行程ぐらいまでは楽に走れるのですが・・・・、自分の歳もしくはトレーニング不足を大変悔やみました。

結構苦しかったので、このまま棄権しようかとも思ったのですが、さすがにチームに悪いと思いなんとか気合いで走りました。2/3ぐらいまで来ると結局歩くことに。スピードだけは落とさないように気をつけ、走る/歩くを繰り返しつづら折りの区間に差し掛かりました。ここでは自衛隊がやたらと応援してくれたのでノコノコ歩くわけにはいかずダラダラと走り数人を抜いて、ヘロヘロになりながら5区の佐藤さんに襷を渡しました。自己計測で34分ぐらいでした。4区を走るのは3回目ですがだんだんタイムが悪くなっているのはショックです。

中継地点は雨ざらしのため、非常に寒かったのですが、いろいろ気を使ってくれたので状況のわりには快適に過ごせました。本大会は悪天候の為、山頂区がなくなり、5区の選手がそのまま折り返しとなり4区での下りの時間までが非常に短くなっていました。中継地点で休んでいるとすぐに下りのトップの選手がやってきました。

選手が次々に下りてくるのを見ているとあっという間に時間が経ち、佐藤さんがやってきました。タスキリレーも上手くいき、下り区間がスタートしました。下りは全く練習していなかったので大変心配だったのですが、これでレースが終わりと腹をくくり走りました。濃霧のためコース取りに苦労しましたが3人抜き樺澤さんへタスキリレー。タイムはよくありませんでしたが順位を上げられたのでよかったです。

私は4区が一番好きで、今年も4区を走れることは非常にうれしかったのですが、十分な結果を出せずに残念でした。来年以降も出るのであればしっかり準備をして満足のいく結果を残したいものです。

この大会への参加もチーム白樺にとってすっかり恒例行事となり、今年で出場10回を数えることができ、記念のトロフィーをいただくことができました。これもチーフを始め各選手・サポーター、白樺メンバーのおかげと感謝しております。次の表彰20回に向けてまだまだ頑張っていきたいと思いますので今後とも応援をよろしくお願いします。

5、7区:佐藤選手

今回、5区・7区を走る事になり、7月1週に試走に行ったのですが…登りで73分と70分すら切れない始末。 都合3回試走に行きましたが、タイムを取ったのはこの一回のみ。『70分切れるのか?』と言う不安を残したままでの本番になりました。

前日、富士山を登り始めた頃には『人間吹っ切れれば何とかなる』と言い聞かせながらの登山になってました。(この辺りはおんたけトレイルでの教訓が生きた様な)天気も良く、これなら明日は走りやすいなと期待してましたが山小屋の方が明日は荒れるので覚悟した方が良いと断言。結果そのとおりだった訳ですが、一抹の不安を抱きながら就寝。

当日、5時頃に起床。高山病特有の頭痛も無く、十分な睡眠が取れた感覚があり、体の調子も良い。(後藤君の睡眠を邪魔してたら申し訳ない)いよいよ言い訳の種が無くなってきたな、と思いつつ日の出を鑑賞。この段階で小雨がパラついていたが、この程度なら寧ろ有難いと思い朝食へ。

7時半に中継所に出発。その頃には雨足が強く、風も強くなっていて山岳区中止の考えがよぎる。中継所に到着したものの、風雨を凌げる場所も無く座る事もままならず、立ったまま時間を待つ事に。(テントを持ってきたチームの用意周到さに感心もしました。)9時近くに山頂区中止の話が出始め(この時、かなり情報が錯綜した。各チーム間の連絡の方が早く噂の域を出ない為、陸協の人に確認したら『そんな訳ない』なんて言われた) その後、正式に山頂区中止が発表され7.5合往復の説明がされる。(この時、本音を言えば山頂区の後藤君が直ぐに降りて来れば交代出来るんじゃ?とも思ったり)この辺りで周囲でアップが始まったが、何にせよ場所が無い。軽く走って体を温め様にも、座ってストレッチをしようにも雨風のお陰で直ぐに体が冷えてしまう。結局、立ったまま出来るストレッチだけに切替え、スタート後に体が温まれば良いやと判断。

ここで困ったのが装備品。周囲もお互いの様子を伺いつつ装備を選定。ロングタイツ・ロングスリーブやアームウォーマーを装備してスタートする人も。個人的にテーピングの有無は下りに差が出たと思ってます(下りで抜かした人はテーピングをしていなかった。自分は帽子・Tシャツ+ランシャツ・手袋・ランパン・靴にテーピング)

例年通り?に滝ヶ原自衛隊がトップで通過し、遅れて自衛隊が数チーム、そして一般のトップが来た辺りで準備開始。靴にテーピングを行い、下はランパンになり上着を着る。服を脱いだ段階でかなり寒さを感じ、長袖着用で行こうか悩んだが濡れたら重くなると思い留まる。到着予定の時間がせまり、続々と襷渡しが行われていく。10人近い大集団があり、この辺で来てくれないかなと祈りつつ下を見ると少し間を置き小集団の先頭に現れた出島さんの姿。数えてないが、勝手にゼッケン通り位の順位だろうと決めつつ襷渡しを。襷を受取り、一度コースを見上げて覚悟を決め、後は地面との睨めっこに。スタート早々3人に抜かれたが気にせず自分なりの走りをする。序盤の30分を歩かずに乗り切れ、目安にした小屋に試走時の2分短縮で通過した段階で70分切りは確信。この時に上を見たが、抜かれた人に余り差を付けられていないのを確認し勝負は出来ていると少し元気に。 が、ここからは歩きと走りの併用に。砂が緩い、斜度が高い部分は素直に歩き、砂が固めで斜度が低い部分で走る(情けないけどこれが自分の精一杯)。その繰替しで1人抜かし、2人目を捉えた所でその人の異変に気付く。両腕を抱え、震えながら歩いているのを見て『まずいんじゃないか?』と。とは言った所で助けられる訳でも無く、抜いた後につづら折りの折り返しで下を確認した所、既にしゃがみこんでいて自衛隊が駆けつけていた。 40分〜50分頃に雨が強まり(風が強くなったのかも)自分も腕の感覚が無くなって来る。腕を振ろうにも体力が残っておらず、振らないとさらに冷える。(これが低体温症かと思ったり)幾ら富士山と言っても、夏の、しかも昼間のレースでアームウォーマーを持ってこなかった事を後悔するとは思いませんでした。時計が60分を刻む頃、山小屋を確認出来る…と思いきやここで霧の発生。霧の中から下りの選手が飛び出してくると言うかなり怖い状況に。(考えて見れば普通は5区・7区がすれ違う状況って有り得ないんですよね)7.5合の中継所に到着した段階で66分台、65分を切れなかったかと思いつつすぐ7区?へ。

下りになれば勝負が出来る。と思った通り3人を抜く。下り始めれば寒さは感じずブレーキを掛けない用一気に下る。残り直線の下りになった所で4人目を発見。ここまで抜くと決めスピードを上げた所で足が回り切らずに転倒。調子に乗り過ぎたと、体勢を立て直すと既に追いつけない距離に。後は確実に襷を渡す事を意識して残りの距離を下る。(出島さんを突き飛ばさないか結構心配でした)問題無く襷渡しが終わらせる事が出来て、ほっと一安心。個人記録は兎も角として、チーム順位は上げられたので最低限のことは出来たかなと思いつつ下山。無事に今回の登山駅伝を終わらせる事が良かったです。

6区(山頂区):後藤選手

みなさんお疲れ様でした。無事仙台に帰ってきました。

最後に駅伝(山頂区)に参加したのが4年前で、それ以来いろんな要因が重なって参加できない年が続いていました。今年はようやく参加出来る、ということになって気合いも入っていただけに山頂区中止というのは残念でしたが、やはり大自然を舞台にしたレースですし、仕方ないでしょう。とにもかくにも、メンバー全員が大きなけがもなく戻って来れたのは良かったですね。

今回のような悪条件もそうそうあることとは思えませんが、せっかくこういう状況を経験出来たので、レース中や待機中に感じた「これがあったらいい」とかいうものがあれば情報共有して今後に活かしていきましょう。

来年も参加します。と言いたいところですが、来年は学業との兼ね合いで参加が非常に厳しくなる予定です。なんとか都合つけて走りたいです。もちろん山頂区を。

後藤選手スペシャルレポート・・・ノウハウ(山岳区間)
レース当日へ サポーターの記録へ