アタカマ・クロッシング
2011/03/11(金)
Stage5 The Long March(2日目・休養日)
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朝8時に起きると日本人は村上さん以外は帰ってきていた。今日は休日でのんびり。日本で大きな地震があったという情報が入る。 他の選手からも「家族は大丈夫か?」など声をかけられるが、この時点では「そんな大げさな」くらいにしか思っていなかった。 9時ごろ朝食を食べていると黒い犬が到着?オーバーナイトステージを一緒に出発して今ゴールしたようです。 すぐにスタッフが水を用意してあげるとがぶがぶ飲んでいました。犬ってそんな長い距離走れるんだ。 しかもちゃんと途中のCPで休憩して水をもらっているのも目撃されていました。
サイバーテントに順位の確認をしに行ったら総合9位。しかし10位との差は3分半。なんとも微妙な差で最終日も気を抜けないな。 取材スタッフから「この差についてどう思うか」「相手の選手はどうか」など聞かれたが、自分のベストを出すしかないし、 砂漠レースは自分の体調を維持するのが精一杯なので相手が誰かなんて気にしていない、としか言えなかった。 取材スタッフはどんな選手がいてどんな順位で来ているかなど調べているので、あまりに人のことを気にしていない自分にはちょっと意外だったようだ。 ちなみに8位の選手には1時間20分差をつけられていてもう無理。2日目の撃沈がなくても届かない感じの差なのですっきりあきらめがついていい。 イアンには2時間ほど差をつけられていた。
佐藤くんがもし電波が繋がったらブログを更新しようと持ち込んでいた携帯電話で各日本選手が日本の家族に連絡を取り 地震の状況を確認。そもそも佐藤くんはチリの砂漠レースに来ていることを家族に言うのを忘れていたようで 「今アタカマ砂漠。言ってなかったっけ?」とむしろ佐藤くんが行方不明になっていました。 それで日本の情報が詳しく入ってきて「津波で町が壊滅した?」「原発が爆発した?」とか尋常ではないことがわかりました。 震源からけっこう離れているところでも近藤さんの自宅の浦安あたりは道路が液状化で交通がマヒしているようだった。 電話使っていいですよと言われたが、どうやら神奈川は命に関わるような被害はなさそうだし連絡取ったところで何もできないので連絡しなかった。 どうせ明日レースが終わればネットが使えるので緊急のお知らせがあればメールが来るでしょ。
お昼ごろアタカマ砂漠の砂をキャンプ地の近くの吹き溜まりで採取。本当は月の谷の砂丘で取りたかったが数km歩いて行く気力なし。 今日も制限時間が近づく中、佐藤くん、岩瀬さんとゴールゲートの脇に岩に登って「村上さん、まだかなー」とやっていると 荒井くんが3人並んだ後ろ姿の写真を撮って嬉しそうだった。
マメや水ぶくれの治療が必要な人は早めにメディカルに行くように指示があったので3回目の砂漠レースにして初めてメディカルへ行く。 レースが終わって帰国するだけなら適当でいい気がするが、この後イースター島に行くのできちんとした治療の指示を受けておきたい。 両足のかかとの皮膚がはがれて生皮になってしまっているのでブリスターキットを使って処置をする。 旅行中のケアまで考えると治療道具が足りないので佐藤くんが帰国するときにブリスターキットを譲ってもらうことにした。
食料も今日で最終処分。食べ切れなかったのはドライフルーツ・パイナップルを2つだけとほぼ予定通りに食べることができた。 汁物中心にしたのが非常に良く、きちんと食べれただけではなく、レースが終わったらあれが食べたいこれが食べたいという欲求も今までのレースのようにはなく ストレスも相当軽減されていると感じた。
夜20時半から地元の天文の先生がキャンプサイトに来て天文講座があった。言葉はまったくわからなかったけどレーザーポインタの動きで何の説明をしているかはわかった。 北半球でも見える星の説明は注目する星とか北半球の解説と同じなんだなと思った。 夜中1時にトイレに起きたらメガネしていないのに星空がすごくきれいだった。やっぱりサハラの星空がぼんやりしていたのは 自分の視力が悪いからだけじゃなかったんじゃないかと思う。しばらくぼーっと星空を見ながら、これで砂漠レースの辛さをリアルに思い出してしまったから 勢いでエントリーしてある6月のゴビ砂漠が怖いなあと思った。今回のレースは一緒にサハラをやった友人達と一緒だし、 なんだかんだ取材スタッフの存在が心強かったりしたけどゴビは1人で戦わなくてはいけない。 実際は1人ではなく日本人参加者がいてすでに面識もあるのだが、やぱりモロッコやエジプトを一緒にやってきた仲間とはまた別で、 自分が頼られる存在にならなければいけないから・・・。(でも英語は頼らせてくださいね♪)
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